基礎デザイン学科

science of design

彫刻
泉澤 雅人

芸術とデザインは異なるのだろうか。芸術とデザインの差異を積極的に探る言説も過去にはあった。その境界を軽やかに超えていくところに、作者の視点はある。ブランクーシ、イサムノグチの造形言語と洗剤のパッケージ、セメントやPPでできた建材の間には「視点によって」通底する形がある。この制作のポイントは彫刻と人工物に通底する形の視点を提示することにある。その視点は、人工物から機能と、寸法や材質感をはぎ取り、彫刻からは芸術のオーラをはぎ取るだけではない。彫刻と人工物の違いが、芸術に対して、デザインの機能性、社会的目的性、計画的に管理された生産、など世俗的に言われていることだけでないことをこの制作は示唆している。
(担当教員 深澤直人 / 解説文 小林昭世)

Ex-formation はだか
Material+Baby
飯高 健人 前島 淳也

生まれたての赤ん坊は皺だらけであるが、その分「皮膚」を強烈に印象づける存在である。この赤ん坊の表面を、様々な素材や物質が覆い尽くす。金箔、樹の肌、綿、苔、コンクリートなどなど。圧巻なのは、「花」。ひなげしかマーガレット程度の小ぶりの花が、一分の隙もなく赤ん坊の皮膚の上に貼付いている様は、強い戦慄を呼び起こす。ある意味では強烈に「死」をイメージさせるからかもしれない。生を横溢する美は死につながる。金箔も、ガラスビーズも、同じ意味で美しくて怖い。
(担当教員 原研哉)

Ex-formation はだか
「完成」を脱ぐ
高柳 絵莉子

工場見学などの際に、未完成な部品が素材感を生々しく漂わせて置かれている光景を目にすることがある。そのたびに僕らは、「素材」と「加工」の妙に打たれ、物質文明のリアリティに、矛盾とも感動ともつかない不思議な感慨を抱く。完成された個々の製品からは決して感じることのないこの感慨を、高柳は意図的にものに付与している。一連の作品は、生産工程を遡る、いわゆる「プロセス」の姿ではない。ものの「未然」を目指している。これらが生産途上の姿ではないことに気付いた瞬間、僕らは高柳絵莉子の魔法にはまりこむ。
(担当教員 原研哉)

意味の内側と外側
福泉 恵太

この作品は、「一本のシャープペンシルの芯」「一杯のコーヒー」「一冊の本」というときの量的な意味が、それほど単純なものではなく、いくつもの解釈が成り立ちうるというコンセプトで制作されている。問題の捉え方も個性的であるが、一般的な量の解釈の再構築を直感的に捉えることができるくらい、表現としてもよくできている。
(担当教員 小林昭世)